四柱推命とは
四柱推命とは、生まれた日と時間と場所より導き出された干支歴※1を読み解き、その人の一生の運勢を看るものです。中国占術では珍しく判断に「易」を用いませんが、的中率が高く優れた占術です。
四柱推命の歴史
推命は、紀元前220年頃、珞碌子が推命の大基となる『三命消息賦』という本を記したという伝説がありますが、定かではありません。記録が定かなところから考えると、推命学は他の占術に比べると歴史が浅く、唐代(617~907年)になって張果が『五星命理』を書いた後、誕生したとされています。その後、李虚中が「李虚中命書」を著し、推命学の基となる「三命」を開設したとされております。その後、韓愈が李氏の活躍を記した『殿中侍御史李君墓志銘』を執筆し、呂大夫に伝承されたとされております。
宋代になって徐子平(居易)が「珞琭子三命消息賦注」を著し、そこから現在私たちが学んでいる推命学が誕生したとされています。その為、推命学は「子平」とも呼ばれます。その後、徐大升が『淵海子平』を著し、推命学は益々体系的になっていきます。
明代に入ると劉伯温(劉基)が推命学のバイブルと称される「滴天髄」を執筆します。以後、滴天髄に源流をたどる推命家により、沢山の注釈書が誕生します。明代には、余春台が「窮通寶鑑」、張神峯(張楠)が『神峯通考・命理正宗』、萬民英(萬育吾)が『三命通會』など、推命の書物が多く出されました。
清代に入ると陳素庵の『命理約言』と『滴天髓輯要』、沈孝瞻の『子平眞詮』、任鉄樵の『滴天髓闡微』、程芝雲の『秘授命理須知滴天髄』等が出版されます。
中華民国の時代には袁樹珊が『命理探原』と『新命理探原』、徐楽吾が「滴天髄徴義」と『子平粹言』、呉俊民が「命理新論」、尤達人が「達人命理通鑑」、韋千里が「命学講義」と著し、更に推命が研究されていきます。
(佐田龍星著「推命学大成」より抜粋)
※1 干支暦とは
干支は古くは「歳」といい、歳は摄提(木星)に期限をもちます。歳は六十甲子(干支紀年法)で周転します。これを干支歴といいます。理論的には紀元前2276年から開始したとされていますが、記録に残っているのは殷の時代(紀元前1600年位)の甲骨文字で書かれている干支歴が発見されています。干支歴は読んで字の如く、十干(天干)と十二支(地支)で構成されており、甲子から始まり、次いで乙丑と続き、最後は癸亥となります。その組み合わせは60通りです。これが年、月、日、時にそれぞれ存在し、漢字8文字に表されます。四柱推命はこのことから「八字」とも呼ばれます。1年を360日とした場合、一つの年にお決まりの12か月が続き、60日分の干支と12刻の組合せとなりますので、1年では4320通りとなります。現在は1年365日なので、実際は4380通りとなります。総数では60年×12干支×60日×12刻となりますので、518,400通り存在します。
判断の仕方
☆干支歴の出し方
大谷翔平
1994年 7月5日21時 岩手県陸奥市 生れ
1994年は甲戌年、7月5日は午月ですが、年干が甲なので干支歴の法則により自動的に庚午月になります。その年の7月5日は壬辰日となります。日干が壬なので、その日の時干支は庚子から始まり、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥のいずれかになります。夏至に近い頃は日が長く、夜が短いので、7月5日の21時は庚戌時となります。よって左の八字の並びになります。(甲戌年 庚午月 壬辰日 庚戌時)
上に並ぶ十干を天干、下に並ぶ十二支を地支といいます。
蔵干
八字の下にある十干は蔵干といい、地支の構成要素を著します。本気とは十二支本来の五行の属性、中気は各支の三合会局※2の五行、余気は十二支の一つ前の季節の余韻が表されています。子卯午酉は帝旺支といい、余気と中気がありません。午は火土同属の為、中気に木の燃えカスとしての己を含みます。
格局
四柱推命で最も重要な決定項目の一つです。格局は日干(日辰)と、月支(月建)の関係で決まっていきます。大谷翔平さんの場合は、日干が壬(水)、月支が午(火)ですが、天干に丙丁戊己が透っていないため、最も有力な丁火を使って、正財格となります。格局は8個の「内格」と、13個の「外格」の21種類あります。
強弱と喜忌
内格の場合は強い星を弱め、弱い星を扶ける「扶抑」という考え方に基づく為、五行の強弱を見極めなければなりません。これが四柱推命では最も難しい判断になります。大谷さんの場合は、日干壬は天干に比肩劫財がない上に、地支にも辰の蔵干癸に根があるのみで、弱いです。しかし月干と時干庚から「金生水」と生じられておりますが、庚も戌の蔵干辛に頼るのみで、やはり強いとは言えません。年干甲木は辰の蔵干乙が遠くあり全くと言っていいほど力がありません。月支午は年干戌と火局の半会で、勢いが強く、火土同属を考えると、月令を得た火の勢いは相当な強さです。以上より、1位火、2位土、3位金、4位水 5位木 となります。火土が強く、金水が弱いという構図です。よって日干は身弱ということになりますので、水を扶ける「比肩劫財」=水 と「印星」=金を喜び、「財星」=火と「官殺」土を忌む(嫌い)ます。
用神・忌神
先の強弱と喜忌より、用神と忌神を定めます。日干壬は、財星と官殺が忌ますので、この二つの通変をいなしてくれる「金」が用神となります。日干と同じ水は「喜神」です。庚辛壬癸、申酉亥子が巡ると発運します。 午月は真夏なので、暑さを緩和させる意味(調候)でも「水」を喜びます。これを調候用神と言います。
逆に、木(甲乙卯)、火(丙丁巳、寅午戌)、土(辰、未、丑)が忌神となります。
大運
生まれた日と各月の節入りまでの日数により大運が決まります。 陽年(甲丙戊庚壬)生まれの男性と、陰年(乙丁己辛癸)は 月干支が順に巡ります。逆に印年生まれの男性と、陽年生まれの女性は、月干支が逆に巡ります。大運は10年単位です
通常は次の節入りまでの日数を3で割った数に余った数を1として足して、立運年を出します。例えば、次の節入りまで16日とすると、5余り1=6年 と計算します。大谷さんの場合は陽年生まれの7月5日なので、次の節入り7月7日(小暑)までを数えますが2日しかないので、これをそのまま余りとして考えて1歳で立運とします。
左図の通り、月干 庚⇒1歳辛⇒10歳壬・・・、月支午⇒1歳未⇒10歳申・・・と運が巡ります。
考察・検証
格局が決定し、強弱・喜忌・用神・忌神が分かったので、実際に、その通りに発運しているのかを検証してみます。
五行金(庚辛・申酉)と五行水(壬癸・亥子)が巡ったところを着色しました。 大運壬申の11~20歳の間は、子供のころから怪童の名をほしいままに野球の全国大会の常連となり、花巻東高校では甲子園優勝まではできなかったものの、160kmの剛速球とバッティングが注目され19歳からプロ入りし、その後の走投打にわたる常人離れした活躍はみなさんご存じの通りです。まさに金水を喜んでいることが分かります。
2018年戊戌は、官星戊と地支戌が月支午と三合化局の半会で火を強めたためと思われますが癸酉の大運中で、翌年の亥で見事復帰となります。
子の水の年に亥ほど振るわないのは、子の水が辰と半会を起こし、月支午を剋すからでしょう。2016、2017年は丙丁で月支午の働きが正常化したことによりものです。要は月支というものは悪戯に剋を受けたり洩らされたりということを喜ばないのです。
私の想定では、現在の様な投打に渡る活躍は来年2024年までではないかと思われます。八字全部が陽であることは、あの強靭な肉体を示唆するものであり、また情人離れした節制とトレーニングと余りある才能の為、引退とかは無いと思いますが、甲戌の大運と流年の乙巳、丙午、丁未と忌神が巡りますので、それまでの獅子奮迅の活躍による疲労の蓄積などで、バッターもしくぱピッチャーどちらかへの専念は余儀なくされるのではないかと推察します。
41歳からの大運乙亥では、また喜神水が巡る上に庚乙の干合が金に化せば、そこからカムバックし50歳までの活躍が見れるかもしれません。
八字が織りなす景色
日干壬水を生成する金は戌午の火に鍛えられ輝かしい刃となり、美しい清水を無限の様に湧き出し続けています。大量の水は土の制を受けて美しい湖へとなります。湖畔には木々が生え、その木々は土をほぐし金の生成を拒みません。
よい運命の人と言うのは、このように八字のあり方が、美しい絵画のようになるものです。
7月5日の21時は何故「辛亥時」でないのか?
先ず、刻というのはお日様の運行によって決まってきたものです。明け六つと暮れ六つで、昼夜をそれぞれ6分割したものが「自然時」です。なので当然、夏の方が昼間が長く、冬の方が夜が長いのです。7月5日の頃は夏至の直後なので、最も日の長い時期です。出生地の陸奥市の21時を自然時で分割すると「庚戌時」になります。
また子供のころから現在までの活躍を考えるに、大運金水を喜んでいることを考えると辛亥は少々説明がしずらくなります。
辛亥時だと、日干壬が時支亥の蔵干壬の支えを受け、午戌半会の火よりも、金水の方が強くなります。月支の季節が命式を支配しているように、時支の支えと言うのは卜占的な運勢を日干に注ぎ込みますので、日支からの支援よりも強くなります。庚戌の時の金からの生が減りはしますが、時支に亥が来たならば、庚生壬よりも強靭です。要は用神と忌神が逆転します。
金水が強くなり、透干していない午火の命式では、大運壬申、癸酉での大活躍が説明がつかないのです。
特に2016年大運酉、流年申、年支戌による西方局は、金水大過となり、翌年のMLB入りは実現しなかったでしょう。
※2 三合会局
十二支は以下の組合せで、五行の性質を強くします。
申ー子ー辰 水局、亥ー卯ー未 木局、寅ー午ー戌 火局、巳ー酉ー丑 金局
その他にも
亥子丑 北方会局=水、寅卯辰 東方会局=木、巳午未 南方会局=火、申酉戌 西方会局=金
申子、子辰 水の半会、亥卯、卯未 木の半会、寅午、午戌 火の半会、巳酉、酉丑 金の半会
子丑、亥寅、卯戌、辰酉、巳申、午未 の支合などがあります。
陽が男性で、陰が女性であるわけ。また、陽が順廻りで、陰が逆回りのわけ
陽は太陽、陰は月、中国の簡体字では、阳と阴 と表記されることでも、その本質が理解できます。
陽は、そのものずばり「光」を発します。月はその光を受けますが、最も太陽の光を浴びているのは「新月」つまり地球上からは消えて見えなくなる瞬間です。地球上から見て太陽と月は同じ大きさに見えることから、太陽の方向に月が廻った時は暗く見えます。満月はこの逆で、地球を中心にして新月の時と180°真逆になった時に、最も月に光が当たり〇に見えます。
あくまで推測ではありますが、最も光を受けている時が暗く、最も太陽から遠ざかった時が明るいというのは、物事の性質の真逆にあります。
奇門遁甲では、最も日の短い冬至から夏至に向けて、日中の時間が長くなっていく時期を陽遁といいますが、新月が満月に向けて明るくなっていくのと考え方はよく似ていますが、そのプロセスは先述した通り真逆です。
よって、以上の事から、陽は男性、陰は女性と定めたものと思われます。また、月=陰は真逆にある事から、逆順と言う発想になったのでしょう。